芸人・有吉弘行さんは売れて当たり前だと思った件について

今ではテレビで見ない日はないぐらいの売れっ子タレントの有吉弘行さんについてですが、ぼくはとある番組での有吉さんの行動を見て「そりゃ、売れるわ。」と思った件についてご紹介しますね。

まず、有吉弘行さんとはどのような人でしょうか?

有吉弘行さんとは?

基本情報について

(2024.09.29時点での情報です。)

1974年5月31日生まれ、広島県出身で太田プロダクションに所属しています。

1994年にお笑いコンビ「猿岩石」でデビューしました。

その名を日本中に知らしめたのが、1996年に出演した日テレ系番組の「進め!電波少年」でした。

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「進め!電波少年」で何したの?

若い世代だと知らないという方もいると思いますので簡単にいうと、ユーラシア大陸をヒッチハイクで横断しました。

今では実現不可能な企画も30年前は、地上波で放送されていました。

当時の感覚では普通にテレビを観ていましたが、現在の感覚で考えるともの凄い内容だったと思い返します。

命が危険にさらされるようなシーンもありました。

こんな過酷なロケを達成するなんて本当にすごいとしか言えません。

人気低迷期

ユーラシア大陸横断ヒッチハイクを達成し帰国直後は絶大な知名度で歌や著書が大ヒットしましたが、お笑いで結果が出ず10年弱は全国区のテレビへの出演はほとんどありませんでした。

2004年には猿岩石を解散しピン芸人として再出発しました。

再ブレイク

ピン芸人として再出発し、徐々にテレビ番組への出演数が増加し始めます。

再ブレイクのきっかけはコレと限定することはできません。

ただ、一般の視聴者であるぼくは「アメトーク」での品川庄司の品川さんに対する「おしゃべりくそ野郎」命名を端に発する毒舌命名かなと思っています。

テレビ番組で笑うことはあっても大爆笑は滅多にありません。

「おしゃべりくそ野郎」を聞いて大爆笑したことは今でも覚えています。

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「そりゃ、売れるわ。」と思った件

有吉さんは、とある番組内のロケでショッピングモールに訪れていました。(記憶ではレンタルショップだったと思います)

そこに偶然、プライベートで訪れていたザブングル加藤さんがお子さんと一緒に来ていました。(放送当時はお笑いコンビ・ザブングル)

やはり、芸人さんなのでプライベートでもロケに遭遇すると、芸人としてのやりとりが始まります。

そして、有吉さんが一連のやり取りを締めようとした時に何気なく取った行動に心を打たれました。

普通は、「なんでやねん!」で頭を平手で叩いて締めますが、有吉さんはお子さんを気遣ったのでしょう、左肩の後ろを右手で、左胸の下あたりを左手で平手で挟むようにツッコミました。

やはり、自分の父親が頭を叩かれる姿は子どもにとってショックが大きいと判断したのでしょう。

売れる芸人さんは売れるべくして売れる

このような気遣いができる方は売れるべくして売れているというのが個人的な感想です。

ぼくは、有吉の壁が好きでいつも観ています。

その番組中でも、先輩や大御所には強く当たってもしっかり敬意を払って面白くしています。

後輩に対しては、厳しく当たっても面白くしています。

ぼく個人としては、タイムマシーン3号の山本さんにやたら×を出す厳しさがすごく面白く、山本さんの返しも大好きですね。

一つの行動が印象に大きな影響を与える世界で勝負している芸人さんは大変だなと実感しました。

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